初めての方へ〜アバター® と出会うまで『私の体験談』

2007年にアバター® を受講し、『本当にやりたいこと』『ミッション(使命)』『本当にやりたい仕事」を見つけることができました。
アバター® に出会う約20年前から、多くのセミナーに参加し、本屋の自己啓発本を読みあさり、本当にやりたいこと!を見つけることができなかった私が、アバター® を受講し、本当にやりたいこと!使命を見つけるまでの体験談を書きました。

本当にやりたいことがわからない!

アバター® に出会う前の20年間。
20才代から、『私の使命、ミッションって何だろう!?心から、コレがやりたい!っていうことは何だろう。私のやりたい仕事は何だろう?』とずっと考えていました。

アバター® を始める20年前から、自己啓発、成功哲学などのセミナーを受講し、時間もお金もたくさん投資してきました。


自分探しの旅〜女性でも一生働ける仕事を探していた!

大学時代は、教師になろうと思い教職課程をとり、高校に国語の教師として教育実習に行ってみたものの、授業がヘタ!すぎて生徒ともつながれない。教師は、もう絶対無理!とあきらめました。
女性でも一生働ける仕事は何だろう?と探していたら、母の親友が税理士に合格したと聞き、『税理士いいかも?』と、大学に通いながら、税理士の専門学校に通いだしてから、『あれ〜そういえば、算数嫌いだった。数字合わせるの苦手だったよね。』と学校に通い始めてから気がついて、ガッカリ。
なんとか、簿記3級を取得して、2級の勉強をはじめてやっぱり税理士はダメだ!と断念しました。

バブル期〜カード会社でやりがいのある楽しい仕事

やりたい仕事が見つからないまま、大卒後、金融系カード会社に勤務。バブル期で、男女雇用均等法もスタートし、『花の営企』という新事業、新企画、広報などに携わる会社の中心的な部署に配属され、楽しい毎日!
バブル期で忙しいのと、『花の企画部』の仕事は能力以上!?で、残業も増え、キャパオーバー。華やかなOL時代の裏側で、体力、気力、知力も限界。またまた、『本当にやりたい仕事ではない』・・の病(やまい)。その後、結婚、妊娠を機に退社。幸せなはずなのに、『子育てが終わったら私の人生はどうなるのだろう?』『私のミッションは?』の使命がわからない!の病(やまい)が再発!

フランス語の通訳になる!〜フランス語のNHKのテキストと本屋で出会う!

仕事をやめて、考える時間が増え、『これからの生活どうなるんだろう。私はどうしたらいいのだろう?」ー妊娠時で新しい命が宿っているにもかかわらず、真剣に悩んでいました。

妊娠期間中、毎日!?悩んでいたものの、このままではいけないと、OL時代から、女性はどう生きたらいいのか?、人生の目的とは?、など、多種多様の自己啓発本、自己実現の本を読んでいました。

そんな時、本を探して、丸善を歩いていたら、『NHKのフランス語』の本と目が合いました!

フランス語を学ぶ

小学生の頃、『ベルサイユのばら』にハマり、新婚旅行にフランスに行ったくらいで、どうしてフランス語を勉強しようか?と思ったのか、今でもわからないのですが、直感的にフランス語を勉強しようと思い、『NHKのフランス語会話が3ヶ月続いたら、出産してからフランス語の学校へ行って、フランス語の通訳になろう!』と決めました。

大学は国文科。多くの友達が大学時代、海外にホームステイに行ったのに、私だけエジプト旅行に行くくらい、語学に全く興味がなく、英語も話せない。しかも三日坊主の私がフランス語の勉強なんて続くはずがない!と思っていました。

ところが!NHKのフランス語会話は、3ヶ月ほとんど毎日聞いて、覚えて、暗記してかなり勉強しました。どうしてあんなに一所懸命だったのか、今でもわかりませんが、何かにとりつかれたように勉強していたのを覚えています。出産時も、産婦人科の病院にフランス語のテキストを持ち込んでいたくらいでした。
娘が生後10ヶ月から、フランス語の学校に週1回通い、学び始めました。フランス語専門の学校なので、授業は全てフランス語、質問も答えもフランス語でした。NHKでみっちり勉強していたので、フランス語だけの授業にもついていくことができ、充実したフランス語ライフでした。娘が小学生になったらフランスに行き、ホームステイをして、語学学校に通い、フランス語の通訳になろう!と決めていました。

やっぱり経済的自立なんてムリ!

娘が小学生2年生の夏休みに、いよいよ念願の1ヶ月のフランスでのホームスティ、そして語学学校に通いました。1ヶ月間と短い期間ですが、授業以外にもよく勉強しました。多くの学生は20代。メキシコ、イラン、インド、ベトナムなど多くの国から勉強に来ていました。

私は、娘は両親にみてもらい、夫にも負担をかけている、一所懸命勉強して通訳にならなければ、と思う反面、本当にフランス語の通訳になれるのか?フランス語の通訳で経済的自立をするくらい収入を得ることができるのか?この努力はムダにならないか?と、ずっと自問自答していました。

無事、1ヶ月のフランスでの生活を終えて帰国しましたが、フランス語検定2級を取得するのにも、アップアップの状態。勉強スタート時より、上達の伸びも悪く『このままでは上達にも時間がかかるし、経済的自立なんてとても無理!』と、あんなに大好きで、勉強に燃えていた私でしたが、とうとう『通訳』をあきらめることを決めました。

フランス語で通訳になることをあきらめた頃、女性やダイバーシティを支援する団体のNPO法人の理事として、仲間と活動していました。『女性はどうして男性より給料が安いのだろう?結婚、出産後、働く場所が少なかったり、女性の地位が低いのはどうしてだろう?』と、やりたいことが見つからない、ことと共に『主婦って家事のことばかりで、給料も発生しないし、社会から隔絶しているように感じるはどうしてだろう?』と悶々と考えていました。

NPO法人理事、そしてカラーコーディネーターへ

たまたま、女性、主婦の活動を支援している団体の女性のことが書かれている新聞の記事を発見し、電話番号が記載されていて電話したことがきっかけで、この団体の一員になりました。NPO法人の代表が、『NPOでも、ボランティア活動でなく、お金が稼げるように』と名古屋市から委託の仕事をコンペで勝ち取り、名古屋市の施設の運営、管理、イベントの企画などに携わり、NPO法人でしたが、時給をいただき働くことができました。NPO法人は楽しい活動でしたが『なんかものたりない!本当にやりたいことじゃない!』と悶々としていました。

その頃、カラーコーディネーターの先生と出会い、もともとカラーやファションに興味があったので、その先生をみているうちに『色彩検定の資格を取得して、カラーコーディネーターになろう』と決意しました。

フランス語の勉強は通訳になることに失敗したので、『カラーコーディネーターは、絶対に失敗は許されない。短期で資格を取得して、絶対に経済的自立をはたそう』と決意し、猛勉強しました。学生時代より勉強した?くらいで、娘からは、『あの時のお母さんは異常。思い出すとトラウマになるくらい』と、自宅の壁や、冷蔵庫にカラーのことを書いた紙を貼り付け、いつも勉強できる環境をつくっていました。

その結果、短期間で検定1級を取得。カラー診断の布や、必要なものを買い揃え、いよいよカラーコーディネーターとして活動!と、知人や先輩から仕事をもらいながら活動していましたが、なかなか職にありつけない状態。『やっぱり私には起業なんて無理。女性が経営して自立するなんて無理なんだ』とカラーコーディネーターもあきらめました。

カラーコーディネーターもダメ。『どうしよう、やることなすこと全然うまくいかない。何をやったら、本当にやりたいことで、経済的自立ができるのだろう』ともはや、半分、あきらめ状態。

20代から、『人生の目的とは?本当にやりたい仕事は?私の人生のミッションは?』と考えていて、20代の時、体調をこわし、自律神経失調症?のような症状で、仕事も忙しく、『このままではいけない!』と、セミナーを受講したことがありました。そのセミナーで知り合った女性と、夫が行けなかったホテルのディナーに一緒に行くことになり、事態は一変しました。

シェフを自宅に招き料理教室を開催〜フランス🇫🇷に抹茶を広げるプロジェクト

一緒に参加したその女性が『このソース、美味しい!シェフに自宅に来てもらって、このソースの調理方法を教えてもらえないかな?自宅にきて教えてもらえないか聞いてきてよ』と言われ、言われるままにシェフに聞きにいくと『いいですよ』と快諾。『えー!ほんと!』と思いましたが、具体的な日程も決まり、我が家でシェフを招いて料理教室がスタート!しました。

自分の思い!というより、友達の一言で料理教室がスタートし、『食のイベント』をテーマにした仕事を始めることにしました。『本当にこの仕事でいいだろうか?本当に私のやりたいことなのか?』と思いながら主催していました。

自宅での料理教室に加えて、ゴージャスなお宅をお借りして料理教室を開催したり、知人、友人、夫の力を借りて福井県へ食のイベントのツアーを実施したり、レストランを借りて特別に料理方法を聞きながら食事を堪能するイベント、料理長とともに市場で素材を仕入れ、仕入れた素材でランチを堪能するイベントなどを開催しました。

イベントを開催する傍ら、『抹茶をフランスに広めたい!』と思い、友人の協力を得て、『抹茶をフランスに広めるプロジェクト』をスタートしました。JETROに行き、愛知県の抹茶の会社を教えていただき、フランスに持っていく抹茶を無料で提供していただいたり、愛知県の豆腐の会社に協賛していただき、豆腐製品を無料で提供していただきました。

『やりたい仕事で幸せになる!」名古屋女性100人の出版記念パーティー

友人とともにフランスに渡航し、フランスのJETRO、日本のオーガニックワインの社長から教えていただいたフランスのオーガニックワインを扱っているソムリエの先生、お菓子の学校の先生などに会って話を聞いていただいたり、パリのCAFE、パテスリーを訪問し、抹茶の良さと、実際に抹茶を使ったお菓子を試食していただいたりしました。しかし、どこも快い返事をもらえず『フランスに抹茶を広めるプロジェクト』は失敗に終わりました。食のイベントの集客もうまくいかず、人間関係も悪くなり、かなり落ち込んでいました。

NPO法人の先輩が『友人が、中部女性起業家100人で本を出版する予定で参加する女性起業家を探しているけど参加する?』と話をもちかけてくれたおかげで出版することもでき、その後、出版記念パーティーを開催することになり、パーティ当日は、出版をした仲間、出版に関わってくださった関係者、知り合いの方々など多くの方が参加して盛大なパーティーでした。

アバター®マスターと出会う

盛大なパーティーで、たくさんのきらびやかな女性たちを目の前にして、『私はどうしてこの女性たちのように、集客したり経済的自立ができないのだろう。やりたいことをやろうと思うとどうしていつも人間関係がうまくいかないのだろう?』と人と比べて落ち込んでいました。名刺交換をすればするほど、うまくいっていない自分を見るようでした。そんな時、とても感じのいい女性二人が声をかけてくれて、名刺交換をしました。

パーティーが終わる頃で、人との比較と、多くの人との名刺交換で私は疲れきっていましたが『なんかこの女性たちは他の人と感じが違う。ホッとする空間がある、安心できるスペースがあるなあ。』と感じていました。この二人はアバター®マスターで、今思えば、会った瞬間もツール(道具)を使ってくれていたんだ。だから、安心できるスペースがあったんだ!と思いました。

人生のターニングポイント

名刺交換をしてから、後日、アバター®マスターから電話があり会うことに。会うまでは、携帯電話のメッセージでやりとりし、そのやりとりがおもしろくて、それは、今まで味わったことのないような楽しさでした。会ったときも、本当によく話しを聞いてくれて、興味をもって話を聞いてくれました。

『アバター® のライセンスを取得するにはアメリカに行くんだよ。』と言われ、『日本人も海外で受講する時代がきたんだ』と感慨深かったです。すぐに、アバター®のDVDを見て、これはもしかしたら今までのセミナーとは違うかも?』と、思いはじめて、後日、京都のコースを受講することに。

『本当に私はこのセミナーで変われるのか?本当にやりたいことが見つかるのか?』と半信半疑だったのですが、受講する直前に弟とけんかをして、それがいつも私の怒りっぽさが原因のいつものパターンの出来事でした。『この怒りっぽさも何とかしないと。小さい頃からこの怒りっぽさで人間関係がギクシャクしている。』

このセミナーは違うかも!?

京都の9日間のコースを受講する前に、マスターの自宅で1日間『リサーフェシング®︎』というコースを受講しました。これがとても良くて、外にお散歩に行く練習、部屋の中では、壁を見て、注意をコントロールする練習。『何かが違う。なんか楽しい!』他のセミナーではやったことのない練習ばかりで、しかも楽しい。言葉にできない感覚で、静かな驚き、という感じでワクワクしていたことを覚えています。

そして、帰宅時には、『これを持っていってね。そして、よければ電車の中でやってみて。』と慈しみカードというのをもらいました。『何だろう?』と思いながら、電車の中で、電車の中にいる数人に『慈しみ練習』をしました。言葉では伝えられないなんとも言えない練習で、人ってみんな同じ何だな、みんな苦しいことも、辛いこと、楽しいことを同じように経験しているんだな、と心がじんわりしたのを覚えています。『アメリカの人が創ったメソッドで、こんな思いを感じるんだな。どこの国の人も意識というのは同じなのかな?』と感じたのを覚えています。

人生を変えた〜『透明な信念』

不安と期待で、名古屋から京都に行き、9日間のセミナーを受講しました。2日目の練習で『透明な信念』という練習をしました。透明な信念とは、『透明な信念とは、助けになることは滅多になく、実は致命的なほど力を奪うもので、その多くは自分の足を引っ張るもので、理性的でなかったときに取り入れたもの。

私は、この練習をして、『だから今までのセミナーで現実が変わらなかったんだ!だから私の人生はうまくいかなかったんだ!』と、とても腑に落ちました。その他に、アバター® 独自の感じる力を伸ばす練習、思考をどんどん減らしていく練習ですが、最初に経験したときに『これが私の欲しかった練習だ!」と直感的に思いました。

感じる力を増やしていく、この練習だ!!

感じる力を増やしていく練習は、外に散歩に行くことが多く、8月の京都の風景を見たり、鳥を見たり、子どもの頃にかえったように楽しく、どんどんリラックスしていくのが感じられ、楽しくて、ワクワクしていました。自分の創りたい人生を創る練習は、楽しいやら、苦しいやら、辛いやらで、人生の縮図を経験し、マスターの方にはたくさんサポートをしていただきました。自分の創りたい現実を創れるようになったら、次は、持ちたくない感情や、身体の感じをどんどん消滅していく、第3部の練習。イヤな思い、イヤな感覚をどんどん消滅し、そして集合意識をあつかう練習もありました。『これはすごいなあ。世界でおこっている出来事の多くのことをあつかえるんだ。まさに創ったり消したり、素晴らしい!』と思いました。

9日間のアバター® コースを終了し、翌月9月はアメリカ、オーランドのマスターコースに参加。アバター® を教えることができるようになるライセンスを取得し、非公開の教材を手に入れることができるコースで、世界中のアバター終了者が受講するコース。日本から、オーランドは、1日かけて飛行機で移動し、約12時間の時差。初めてのオーランドは、暑くて太陽がギラギラしている、とても明るくて、陽気な感じがする所で、意識の探究にはもってこいの環境。ホテルの庭で、リラックスして練習をしたり、庭にいるリスを見て楽しんだり、海外の方とつながりながらのセミナーで、意識が拡大し、頭がどんどん静かになっている感じがしました。

何かが変化している!感じでした。マスターコースを受講した時は、マスターのライセンスを取得したものの、人にアバターを伝える、人にアバターを教えることは全く考えていなくて、『自分の生き方、自分の人生だけに使おう』と思っていました。人生の使命、ミッション、本当にやりたいことは何だろう?と思う気持ちもこの頃は、なぜか、ずいぶん減少していました。

アバター®の練習を使って人をサポートすることの楽しさ!

マスターのライセンスを取得し、自分だけのためにアバター® のツール(道具)を使い、現実を変えることに使っていました。結果は悪くはなかったのですが、ある日、突然、『自分で使っているだけでは限界がある。』と思い始めました。『アバターを人に伝えよう。教えよう。』と徐々に思い始め、ライセンスを取得して1年後、初めてアバターを教えました。

初めてで、わからないことばかりでしたが、アバター® のツール(道具)を使ってサポートすると、サポートした方の表情がどんどんかわっていって、こんな短時間で人が幸せになっていく感じを見るのは初めて!本当に楽しかった!ことを覚えています。

アバター®のセミナーに参加する方たちは、人生の何かを変えたくて、自分自身を見つめて、意識の探究をしていく方たちばかり。私は、受講生さんをサポートすることが楽しくて、人の意識が変化していくことに立ち会えることがとても新鮮で、『この仕事おもしろい。これが本当にやりたいことかも?』と本気で考え始めました。しかし、本当にこの仕事でうまくいくのか?以前のように途中であきらめたり、イヤになってやめてしまわないか?いろいろ、いろいろ考えましたが、サポートする回数が増えるたびに『やっぱりこれがやりたいことだ!』と確信がもてるようになってきました。

『自己実現』と、人をサポートし、自分も信頼できる仲間とともに楽しんで生きる!

アバター®を受講して16年が過ぎました。『本当にやりたいこと!』を求め続けて20年。いろんなことにチャレンジし、失敗もたくさん経験して、やっとアバター®を伝えること、教えることが、本当に私のやりたいこと、ミッションであったと、『やりたいこと』を見つけてホッとしています。そして、『本当にやりたいこと』を見つけ、現在は、アバター®の使命、EPC(覚醒した星の文明)を創るという壮大なビジョンに向けて、仲間とともに進んでいます。

アバター®は源の存在、本来の自分をとりもどし、意識のパワーを使って、『本当に自分が創りたい人生を創る』コース。みなさんが、本当にやりたいことを発見し、意識のパワーを使って、本当にやりたいことを実現することのサポートができることが楽しみです。そして、このアバター®マスターという、人をサポートして、さらに自分の幸福感がましていく仕事をみなさんといっしょにできる日を、本当に本当に楽しみにしています。みなさんの本当にやりたいことが見つかり、心の幸せがどんどん拡がりますように・・

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